「す、すごい……。こんな立派なホテル初めて見ます」ホテルに到着した朱莉はその豪華な造りに目を見開いた。それを見た琢磨が申し訳なさそうに謝る。「朱莉さん、ごめん。俺だけこんな立派な部屋へ泊って。何なら今夜は朱莉さんと俺の宿泊先を交換してもいいよ?」レストランに向って歩きながら琢磨が言った。「な、何言ってるんですか? そんなとんでもないですよ。私は今のホテルで十分満足しています。だから全然気にされなくて大丈夫ですからね?」「そうかい?」琢磨は少し目を伏せた――「ほら、ここで朝食を取るんだよ」琢磨に案内されたレストランはとても広く、天井からは豪華なシャンデリアが吊り下げらていた。「な、何だか気後れしてしまいます。私、こんなカジュアルな服装をしているのに」朱莉は自分の服装を見直しながら言った。朱莉の今日の服装は柄の入った白いTシャツにデニムのロングスカートにサンダルとういうスタイルである。「ハハハ。そんな事無いよ、良く似合ってる。それに俺だってポロシャツ姿だ。他のお客も似たような服装をしているだろう?」「言われてみれば確かにそうですね」「よし、それじゃここのテーブル席にしようか?」琢磨は窓側の座席を示した。「はい、そうですね」朱莉が座ろうとしたとき。「朱莉さん。ここビュッフェスタイルなんだ。だから好きなメニューを選んで取って来るんだよ。俺はここで待っているから先に行って来るといいよ」「え? でもそれでは……」「朝、部屋でコーヒーを飲んでるからそれ程お腹が空いてるわけじゃないんだよ」琢磨の言葉に朱莉は納得した。「そうですか? それではお先に行ってきますね」 カウンターには様々なおいしそうな料理が並び、どれも目移りするものばかりだった。取りあえず琢磨を待たせてはいけないと思った朱莉は、パンに卵料理、サラダにスープ、ヨーグルトを選んで琢磨の元へ戻りかけた時、2人の女性が琢磨の側で話をしてる姿が目に止まった。(え? 九条さん? あの女の人達は誰だろう? ひょっとして知り合いなのかな?)席に戻っていいのかどうか朱莉は迷って立ち止まっていると、琢磨が朱莉に向って手を振ってきた。「朱莉、こっちだ!」(え?? あ、朱莉!?)いきなり呼び捨てされ、笑顔で呼ばれたので朱莉はすっかり面食らってしまった。そして同時に感じたのは2人の女性の自分
朝食を食べ終えた2人は今琢磨の運転する車で病院へと向かっていた。「朱莉さん、さっきはごめん」琢磨が突然ポツリと言った。「え? さっき? 何のことですか?」朱莉は突然琢磨が謝罪してきたので、振り返った。「いや、レストランで突然朱莉さんの名前を呼び捨てしたり、彼女だって言ったりしたことだよ」「あ。あの事ですか? 別に謝らなくていいですよ。私は気にしていませんので。確かに少し驚きはしましたが、あの女性達の手前、ああいう言い方をしたのですよね?」「うん。まあ……そうなんだけどね」琢磨は歯切れが悪そうに返事をする。「だけど、やっぱり九条さんは女性にモテるんですね」「え? や、やっぱりって?」九条は狼狽えて朱莉を見た。「はい。九条さんは素敵な男の人ですからね。女性達から人気があって当然ですよね? やっぱり私の思った通りでした「朱莉さん……」朱莉から「素敵な男の人」と言われて琢磨は思わず赤面しそうになった。まさか朱莉が自分のことをそんな風に見てくれているとは思ってもいなかったからだ。しかし、そこでまた琢磨の胸に暗い影が落ちる。(それでも朱莉さんの好きな男は……翔なんだろう?)琢磨は窓の外を眺めている朱莉を横目でチラリと見た。朱莉の目に映すのは翔ではなく、自分だったらどんなにか良かったのに。自分だったら朱莉をあんな悲しい目に遭わせないのに。だが、琢磨は自分の気持ちを朱莉に告げることは出来ない。それが琢磨にはとても辛かった――**** 翔との待ち合わせは病院内に併設されたカフェだった。明日香は今検査を受けていると言うことで、カフェで待ち合わせをすることにしていたのだ。琢磨と朱莉がカフェに行くと既に翔は席に着いており、2人を見ると手を上げた。「おはようございます、翔さん」「おはよう、翔」「おはよう、琢磨。それに朱莉さん。その……昨日は本当にすまなかった」翔は申し訳なさげに朱莉に謝罪した。「翔!謝るなら最初からあんな酷い言い方をするなっ!」朱莉に謝る翔を激しく非難する琢磨。「九条さん……」そんな琢磨を朱莉が見つめる。「分かってる、琢磨の言う通りだよ。本当にごめん。明日香のことになると、俺はどうしても感情的になってしまうんだ」再び、翔は朱莉に頭を下げた。だが、翔はその行為すら朱莉を傷付けているとは気が付いてもいない。
「あ、朱莉さん……? 本当にそれでいいのか……?」琢磨は驚いて朱莉を見つめた。「はい。当然ですよね。明日香さんが産んだ子供は私が産んだことにするわけですから」「ありがとう、朱莉さん。話が早くて助かるよ。それと念の為にこれからは服装も気を遣って貰えないかな? 明日香のお腹の大きさと見比べて大差ないように何か工夫をして貰えるとより一層助かるんだが……」翔は申し訳なさそうに言う。「ば、馬鹿言うな。翔……」琢磨は怒りに声を震わせた。朱莉は俯いて、ぎゅっとスカートを握りしめていたが、顔を上げた。「はい。分かりました。何とかやってみますね」「翔! 俺はそんなの認めないからな!? 朱莉さんに妊婦の真似をさせるなんて!」「写真が!」すると翔が叫んだ。「「え……?」」朱莉と琢磨が同時に首を傾げる。「写真がいるんだよ。いざという時の為に……」「そうか、お前は自分と明日香ちゃんの身の保全の為に朱莉さんの妊婦姿の写真が欲しいと言うんだな?」琢磨は冷たい声で言う。「ああ。それだけじゃない。世間の目もあるだろう? これは、朱莉さんの為でもあるんだ」翔の言葉に朱莉が反応した。「私の……為ですか?」「朱莉さん! こいつの言葉に耳を貸す必要なんか無いぞ! 朱莉さんの為とか言って、本当は自分達のことしか考えていないくせに!」「少し黙っていてくれ! これは俺と明日香、そして朱莉さんの問題なんだ!」琢磨の怒鳴り声に、翔が吐き捨てるように言った。「な、何だって……?」(こいつ……自分で何言ってるのか分かってるのか!?)琢磨はこぶしを握り締めながら翔を見た。「そう、これは……朱莉さんに取ってのビジネスだ」「ビジネス……」朱莉は小さく呟いた。「ああ、世間を騙す為には完璧にしないといけない。手を抜いたら駄目なんだ。いいかい、考えてもみるんだ。いきなり今の体型で子供を産みましたと言って誰が信じる? 世間の目を欺くには偽装が必要なんだよ」「偽装……ですか?」朱莉は一瞬悲し気な顔で目を伏せた。「分かりました。仰るとおりにいたします」「朱莉さん!」琢磨は朱莉の肩に両手を置いた。「何故だ!? 何故そこまでこいつの言う事を聞くんだよ!」「け、契約妻……だからです」「琢磨、お前がいると話しが進まない。席を外してくれ」翔は琢磨に視線を移す。「断るっ!!
「くそ! まだ翔の話は終わらないのか?」琢磨は病院のロビーでイライラしながら時計を眺めていた。その時、朱莉の姿が見えた。朱莉は琢磨の方へ向かって歩いてくる。「朱莉さん!」琢磨はここが病院だということも忘れ、朱莉の傍まで駆け寄って来た。「九条さん。すみません、お待たせしてしまって」朱莉は笑みを浮かべているが、その顔色は酷く悪かった。「大丈夫かい? 顔色が悪いよ。少しここで休んで行かないか?」「いいえ、大丈夫です。それよりも色々と買い物があるので」それを聞いた琢磨の顔が途端に険しくなる。「買い物だって? こっちは既に明日香ちゃんの大量のクリーニングだって渡したのに、まだ何かあるのかい?」「いいえ、違います。今回は私個人の買い物なんです」「買い物? それは一体……」そこまで言いかけて、琢磨は口を閉じた。「ひょっとするとマタニティ用の服でも買うつもりなのかい?」「!」朱莉の肩が小さく跳ねるのを琢磨は見逃さなかった。「そうか……。翔に言われたからだな?」琢磨はギリリと歯を食いしばった。「で、でもマタニティ服でも普段着として使えますし、い、いずれ私もこの契約婚が終わった後……」そこまで言うと朱莉は眼を擦り、俯いた。「……」琢磨はそんな朱莉を黙って見降ろしていた。(朱莉さん……その後の台詞は一体何て言おうとしていたんだ? あいつ等は腹立たしいが、朱莉さんを1人には出来ない)「付き合うよ」「え?」「俺も朱莉さんの買い物に付き合うよ。と言うか、付き合わせてくれないかな?お願いだ」「いいんですか? でも、そう言っていただけると助かります」朱莉は丁寧に頭を下げた。「いや、いいんだよ。どのみち、明日から朱莉さんはマンションで暮す事になるんだから買い物は必要だよ。今日の内に朱莉さんが使う日用品の買い物に1日付き合おうと決めていたんだ」琢磨は笑顔で答えた。「え? 1日ですか? それではご迷惑をかけてしまいます。だって九条さんは明日の飛行機で東京に帰って、その足で職場に向かうんですよね? 翔さんが言ってましたよ?」「確かにそうだけど、でも出張と似たような物だよ。今までだって遠くの出張先から東京へ戻ってそのまま出社なんて多々あることだから」「でも1時間程お付き合いただければ、後は大丈夫ですから」「いいんだ、だって今日も沢山買い物が
2人は琢磨の運転する車で、まずは朱莉の新しい生活に必要な日用品を買い揃えた。次に琢磨が探し出した新しい教習所へ転入届に行き、最後にベビー用品専門店へと足を運んだ――**** 店内には可愛らしいベビー服やベビーカー、おむつや哺乳瓶。そしてマタニティウェアと様々な品物が売られていた。「俺、こんな店来るの初めてなんだけど何だか照れ臭いと思わないかい?」琢磨が朱莉に耳打ちする。「私も初めてですよ。何だか不思議な空間に感じてます」朱莉も小声で返事をする。(そっか……マタニティ服のことばかり考えていたけど、これから生まれて来る赤ちゃんは私が替わりに育てることになるからやっぱり私の方で色々買い揃えるんだろうな……)「どうしたの? 朱莉さん」ボンヤリ考えていると琢磨が声をかけてきた。「い、いえ。このベビードレス、可愛いなと思って」朱莉はその中の一着、新生児用のベビードレスを手に取った。「うん。確かに可愛いね」琢磨は朱莉の背後からベビードレスを覗きこむ。すると琢磨の背後で声が聞こえてきた。「ねえねえ、お母さん、見て。あの若い夫婦、すごく素敵だと思わない?」「確かにそうだね。美男美女ですごく幸せそうに見えるね」琢磨の耳に偶然その会話が耳に飛び込んできて、一瞬で耳まで真っ赤に染まる。チラリと声の方を横目で伺うと、どうやら妊婦の娘と実母の組み合わせのようだった。朱莉の方は2人の会話が聞こえていなかったのか、真剣な眼差しで新生児用の肌着やスタイ等を見ている。(あの人達には俺と朱莉さんが夫婦に見えたのか?)それだったらどんなに良かったことか。しかし、琢磨は絶対に朱莉に対して抱いている思いを言葉にすることが出来無い。何故なら自分にはそんな資格は一切無いからだ。だから琢磨に出来ることは、なるべく朱莉の手助けをし、翔と離婚後は自分以外の他の誰かと結婚して、幸せになれるよう祈るだけだった……。 その後、朱莉はこの店でマタニティ用の服を3着と、新生児用の肌着にベビードレスを買って店を出た。「え? もう新生児用の下着やドレスを買ったの?」朱莉から話を聞いた琢磨の目が見開かれる。「はい。だってとても可愛らしいドレスを見つけたので。あの……気が早過ぎましたか?」「い、いや? どうなんだろうな? ごめん。実は俺の友人の中で結婚しているのは何人かいるけど、まだ誰
「明日香、朱莉さんがクリーニングを持って来てくれたぞ」検査が終わり、部屋にベッドごと戻って来た明日香に翔が声をかけた。「あら、そうなの? 朱莉さんが自分から持ってきてくれたのかしら?」「いや、俺が朱莉さんを呼んだ。ほら、明日から俺と琢磨は東京に戻るだろう? その間明日香の面倒を見て貰わないとならないからな」翔は明日香の髪を撫でた。「……」しかし、当の明日香は何か考え込んだ風に黙っている。「どうしたんだ? 明日香」「ねえ……。翔、朱莉さんに何て言ったの?」明日香はじっと翔の目を見つめる。「え……? 週に3回は明日香の面倒をみに病院へ来るように伝えたが?」「3回……それじゃ朱莉さんにちょっと悪い気がするわ。週に2度でいいわ。それに洗濯物だけお願いするわ。後は大丈夫よ。この病院には看護師以外にヘルパーもいるから」明日香の言葉に翔は耳を疑った。「え? 明日香……今の台詞本気で言ってるのか?」「何よ、本気に決まってるでしょう? 子供を産むんだからもっとしっかりしないとね。それに朱莉さんにだって自分の生活だってあるだろうから。教習所にだって行くわけでしょう?」「教習所……そうだ! 教習所だ。沖縄にいる間は休んでもらわないと!」翔はスマホを取り出して、朱莉に連絡を入れようとするのを明日香が止めた。「ちょっと待ってよ翔。何故朱莉さんの教習所を休ませようとするの?」「だってそうだろう? 朱莉さんには妊婦の恰好をしてもらわないとならないんだ。あまり妊婦で教習所へ通う人は少ないだろう?」「そのことなんだけど……。何とか朱莉さんを妊婦にしたてないで御爺様達の目をごまかす方法は無いかしら?」明日香は翔をじっと見つめた。「え?」「いくらなんでも朱莉さんが出産したことにするって言うのはやはり無理があると思うのよね。だって、現に私はこうしてこの病院に運び込まれてしまったわけだし。幸い、病院では私たちの関係は兄妹として認識されているけど。でもこの病院で出産するのはやめようかと思っているのよ。落ち着いたら海外で出産しようかと考えてるの。海外で出産すれば目立たないでしょう?」「最近ネットで良く何か調べていると思っていたけど……そんなことを調べていたのか?」「ええ、そうよ。いくら何でも日本で出産するのは危険だと思うのよね。なるべくリスクは避けたいから」「
「朱莉さん……」琢磨は朱莉の答えに少しだけ失望してしまった。出来れば朱莉には残念がって欲しかったのだが……。(そうだよな。よくよく考えてみれば俺と翔は明日東京に帰るけど、朱莉さんは当分沖縄に残るんだから観光案内なんか必要無いってことだし。結局朱莉さんと観光したかったのはこの俺だけか……)その時、突然朱莉のスマホに着信が入ってきた。「翔先輩……」それを聞いた琢磨はピクリと反応する。「その電話、俺に貸して貰えないか?」琢磨は手を差し出した。「え? でも……」「朱莉さん……お願いだ」その声は何処か辛そうに聞こえたので、朱莉は琢磨に電話を託した。「もしもし」『え? 何だ? 琢磨か?』翔はまさか琢磨が朱莉の電話に出るとは思わず驚きの声を上げた。「ああ、俺だ。朱莉さんの買い物に付き合って、今2人でカフェにいた所だ。翔……まだお前朱莉さんに何か要求を突きつけるつもりなのか?」その言葉に電話を聞いていた朱莉は悲しそうに目を伏せた。『まさか! そんなんじゃない。実は朱莉さんには週に3回明日香の面倒を見て貰う為に病院に来てくれるように話したんだが……』「何!? 週に3回だと!? 翔! ふざけるなよ!」『落ち着いてくれよ琢磨。確かに俺は朱莉さんに週に3回病院に来てくれるように頼んだが明日香がそんなに必要無いって言ったんだ。週に2回だけ、洗濯だけ頼みたいって』その言葉を聞いた琢磨は我が耳を疑った。「何? 明日香ちゃんが自分から言ったのか?」『ああ、朱莉さんにも自分の生活があるだろうからと言ってた。子供を産むんだから、もっとしっかりしないとって明日香本人が言ったんだよ』「そんな……信じられない……」(あの明日香ちゃんがそんなことを言うなんて。やはり女性は妊娠すると色々かわるのだろうか?)『そう言うことだから朱莉さんと電話を替わってくれ』翔に促され、琢磨は頷いた。「あ、ああ。分かったよ」琢磨は朱莉にスマホを渡した。「翔が朱莉さんと話をさせてくれって」「はい、分かりました」翔からスマホを受け取ると朱莉は電話に出た。「もしもし。お電話代わりました」『朱莉さん、さっきは本当に悪かった。さっきは週に3回病院に来てくれとか、服装にも気を遣ってくれなんて言ってしまったけど、明日香がその必要は無いって言ったんだ』「明日香さんが?」それは朱
電話を切った朱莉の様子が何だかおかしく感じ、琢磨は尋ねた。「また翔に何か言われたね?」「い、いえ。別に何も言われていませんよ?」朱莉はすぐに否定したが、琢磨は朱莉をじっと見つめる。「さっき突然電話の最中に顔色が変わった。今、随分青ざめた顔をしているよ? 本当は辛い言葉をなげつけられたんじゃないのかい?」「いえ……そんなことは……」朱莉はズキズキ痛む頭を押さえながら返事をすると、琢磨が突然朱莉の額に手をあてた。「熱い。ひょっとして熱でもあるんじゃないのかい?」「熱……どうでしょう……?」しかし、先程から身体が何となく熱っぽさを感じていたのは事実だ。「……店を出よう。立てるかい?」琢磨は立ち上がると朱莉の側へ寄った。「は、はい……何とか」朱莉が立ち上ると、琢磨はグイッと朱莉の肩を抱き寄せて、歩き出した。一斉に店内にいた人々の視線が2人に集中する。「あ、あの……く、九条さん……?」朱莉はすっかり戸惑ってしまった。「周りの目なんか気にすることは無い。かなり熱い身体をしてるじゃないか。すぐに車に戻って何か風邪薬でも買って帰ろう」「ありがとうございます……」自分の身体を支える様に歩く琢磨の顔を朱莉は見上げた。(本当にいつも私は九条さんに迷惑ばかりかけている……)朱莉は申し訳ない気持ちで一杯になるのだった――****「ドラッグストアに寄ってからホテルに戻ろう」運転席に座ると琢磨は言った。「はい、分かりました。よろしくお願いします」弱々しく朱莉は返事をする。「車の中で寝ているといいよ。ホテルに着いたら起こすから」「はい、ありがとうございます……」朱莉は眼をつぶり、そのまま眠ってしまった―― 次に目を覚ました時、見知らぬベッドの上で眠っていることに気が付いた。額にはいつの間にか熱冷ましのシートが貼られている。「ここは……?」ボンヤリした頭でベッドに横たわったまま視線を動かしてみる。その部屋はとても豪華な部屋だった。高い天井に、広い部屋は隅々まで美しい内装をしている。部屋の調度品はどれも豪華な造りで、大きなサンルームが窓から続き、太陽の光が部屋に降り注いでいる。(一体、ここは何処なんだろう……? それに時間は……? 九条さんは何処に行ったんだろう……?)しかし、強い眠気で再び朱莉は眠りに就いた―― 次に目が覚めた時
1人の男が朱莉の住むマンションの前に立っていた。その男はぎらつく目で朱莉の住む部屋のベランダをじっと見上げている。その時――「……こんな所で一体何をしているんだ?」京極が男に声をかけた。「い、いや……お、俺は……」男は狼狽したように後ず去ると、背後から体格の良い背広姿の男が突然現れて男を羽交い絞めにした。捕らえられた男を京極は冷たい瞳で睨み付けた。「まだコソコソと嗅ぎまわる奴らが残っていたのか……」それは背筋がゾッとするような声だった。「は……離せ! うっ!」暴れる男を押さえつけている男性は男の腕を捻り上げた。京極は身動きが出来ない男に近付くと、肩から下げた鞄を取り上げて漁り始めた。中からデジカメを発見すると蓋を開けてメモリーカードを引き抜いた。「よ、よせ! 触るな! うっ!」さらに腕をねじ上げられて再び男は苦し気に呻いた。そんな男を京極は冷たい目で見つめると、次に名刺を探し出した。「やはりゴシップ誌に売りつけるフリーの三流記者か……。どこの誰に教えられたのかは知らないが余計な手出しはするな。もし下手な真似をするなら二度とこの業界で生きていけない様にしてやるぞ?」それは背筋がゾッとする程冷たく、恐ろしい声だった。「だ、誰なんだよ……お前は……」「仮にもお前のような奴がこの業界で働いていれば名前くらいは聞いたことがあるだろう? 俺の名前は京極だ」「京極……ま、まさかあの京極正人か……!?」途端に男の顔は青ざめる。「そうか……やはり俺のことは知ってるんだな? 分かったら、二度と姿を見せるな。さもないと……」「ヒイッ! わ、分かった! もう二度とこんな真似はしない! た、頼む! 見逃してくれ!」「……どうしますか?」男の腕を締め上げていた男性は京極に尋ねた。「……離してやれ」男性が手を離すと、男はその場を逃げるように走り去って行った。その姿を見届けると男性は京極に尋ねた。「いつまでこんなことを続けるつもりですか?」「勿論彼女の契約婚が終了するまでだ」「しかし、それでは……」「今はまだ動けない。だが、最悪の場合は強引にこの契約婚を終わらせるように仕向けるつもりだ」その時、京極のスマホが鳴った。京極はその着信相手を見ると、一瞬目を見開き……電話に出た。「ああ……。教えてくれてありがとう。助かったよ……うん。早速
10月22日—— その日は突然訪れた。朱莉が洗濯物を干し終わって、部屋の中へ入ってきた時の事。翔との連絡用のスマホが部屋の中で鳴り響いていた。(まさか明日香さんが!?)すると着信相手は姫宮からであった。すぐにスマホをタップすると電話に出た。「はい、もしもし」『朱莉さん、明日香さんが男の子を先程出産されました』「え? う、生まれたんですね!?」『はい、かなりの難産にはなりましたが、無事に出産することが出来ました。私は今副社長とアメリカにいます。副社長は日本に戻るのは10日後になりますが、私は一時的に日本へ帰国する予定です。朱莉さんはもう引っ越しの準備を始めておいて下さい。朱莉さんが今現在お住いの賃貸マンションの解約手続きは私が帰国後行いますので、そのままにしておいていただいて大丈夫です。それではまた連絡いたします』姫宮からの電話はそこで切れた。(明日香さんがついに赤ちゃんを出産……そしてこれから私の子育てが始まるんだ……。それにしても難産って……明日香さん大丈夫なのかな……?)朱莉は明日香のことが心配になった。ただでさえ、情緒不安定で一時は薬を服用していたと聞く。回復の兆しがあり、薬をやめてから明日香は翔との子供を妊娠したが、その後は翔と姫宮の不倫疑惑が浮上。結局その件は航の調査で2人の間に不倫関係は認めらず、誤解だったことが分かったが明日香は難産で苦しんだ……。「明日香さん、元気な姿で日本に赤ちゃんと一緒に戻ってきて下さい」朱莉はそっと祈った。——その後朱莉は梱包用品を買い集めて来るとマンションへと戻り、買い集めていたベビー用品の梱包を始めた。一つ一つ手に取って荷造りを始めていると、自然と琢磨や航のことが思い出されてきた。「あ……このベビードレスは確か九条さんと一緒に買いに行ったんだっけ。そしてこれは航君と一緒に買った哺乳瓶だ……」朱莉の胸に懐かしさが込み上げてくる。(あの時は誰かが側にいてくれたから寂しく無かったけど……)だが、いつだって朱莉が一番傍にいて欲しいと願っていた翔の姿はそこには無い。翔と2人で過ごした日々は片手で数えるほどしか無かった。むしろ、冷たい視線や言葉を投げつけらる数の方が多かったのだ。(でも……翔先輩。私が明日香さんの赤ちゃんを育てるようになれば少しは私のこと、少しは意識してくれるかな……?)一度
観覧車を降りた後は、京極の誘いでカフェに入った。「朱莉さん。食事は済ませたのですか?」「はい。簡単にですが、サラダパスタを作って食べました」「そうですか、実は僕はまだ食事を済ませていないんです。すみませんがここで食事をとらせていただいても大丈夫ですか?」「そんな、私のこと等気にせず、お好きな物を召し上がって下さい」(まさか京極さんが食事を済ませていなかったなんて……)「ありがとうございます」京極はニコリと笑うと、クラブハウスサンドセットを注文し、朱莉はアイスキャラメルマキアートを注文した。注文を終えると京極が尋ねてきた。「朱莉さんは料理が好きなんですか?」「そうですね。嫌いではありません。好き? と聞かれても微妙なところなのですが」「微妙? 何故ですか?」「1人暮らしが長かったせいか料理を作って食べても、なんだか空しい感じがして。でも誰かの為に作る料理は好きですよ?」「そうですか……それなら航君と暮していた間は……」京極はそこまで言うと言葉を切った。「京極さん? どうしましたか?」「いえ。何でもありません」 その後、2人の前に注文したメニューが届き、京極はクラブハウスサンドセットを食べ、朱莉はアイスキャラメルマキアートを飲みながら、マロンやネイビーの会話を重ねた——**** 帰りの車の中、京極が朱莉に礼を述べてきた。「朱莉さん、今夜は突然の誘いだったのにお付き合いいただいて本当にありがとうございました」「いえ。そんなお礼を言われる程ではありませんから」「ですがこの先多分朱莉さんが自由に行動できる時間は……当分先になるでしょうからね」何処か意味深な言い方をされて、朱莉は京極を見た。「え……? 今のは一体どういう意味ですか?」「別に、言葉通りの意味ですよ。今でも貴女は自分の時間を犠牲にしているのに、これからはより一層自分の時間を犠牲にしなければならなくなるのだから」京極はハンドルを握りながら、真っすぐ前を向いている。(え……? 京極さんは一体何を言おうとしているの?)朱莉は京極の言葉の続きを聞くのが怖かった。出来ればもうこれ以上この話はしないで貰いたいと思った。「京極さん、私は……」たまらず言いかけた時、京極が口を開いた。「まあ。それを言えば……僕も人のことは言えませんけどね」「え?」「来月には東京へ戻
朱莉が航のことを思い出していると、運転していた京極が話しかけてきた。「朱莉さん、何か考えごとですか?」「いえ。そんなことはありません」朱莉は慌てて返事をする。「ひょっとすると……安西君のことですか?」「え? 何故そのことを……?」いきなり確信を突かれて朱莉は驚いた。するとその様子を見た京極が静かに笑い出す。「ハハハ……。やっぱり朱莉さんは素直で分かりやすい女性ですね。すぐに思っていることが顔に出てしまう」「そ、そんなに私って分かりやすいですか?」「ええ。そうですね、とても分かりやすいです。それで朱莉さんにとって彼はどんな存在だったのですか? よろしければ教えてください」京極の横顔は真剣だった。「航君は私にとって……家族みたいな人でした……」朱莉は考えながら言葉を紡ぐ。「家族……? 家族と言っても色々ありますけど? 例えば親子だったり、姉弟だったり……もしくは夫婦だったり……」最期の言葉は何処か思わせぶりな話し方に朱莉は感じられたが、自分の気持ちを素直に答えた。「航君は、私にとって大切な弟のような存在でした」するとそれを聞いた京極は苦笑した。「弟ですか……それを知ったら彼はどんな気持ちになるでしょうね?」「航君にはもうその話はしていますけど?」朱莉の言葉に京極は驚いた様子を見せた。「そうなのですか? でも安西君は本当にいい青年だと思いますよ。多少口が悪いのが玉に傷ですが、正義感の溢れる素晴らしい若者だと思います。社員に雇うなら彼のような青年がいいですね」朱莉はその話をじっと聞いていた。(そうか……京極さんは航君のことを高く評価していたんだ……)その後、2人は車内で美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジに着くまでの間、航の話ばかりすることになった——****「どうですか? 朱莉さん。夜のアメリカンビレッジは?」ライトアップされた街を2人で並んで歩きながら京極が尋ねてきた。「はい、夜は又雰囲気が変わってすごく素敵な場所ですね」「ええ。本当にオフィスから見えるここの夜景は最高ですよ。社員達も皆喜んでいます。お陰で残業する社員が増えてしまいましたよ」「ええ? そうなんですか?」「そうですよ。あ、朱莉さん。観覧車乗り場に着きましたよ?」2人は夜の観覧車に乗り込んだ。観覧車から見下ろす景色は最高だった。ムードたっ
その日の夜のことだった。朱莉の個人用スマホに突然電話がかかって来た。相手は京極からであった。(え? 京極さん……? いつもならメールをしてくるのに、電話なんて珍しいな……)正直に言えば、未だに京極の事は姫宮の件や航の件で朱莉はわだかまりを持っている。出来れば電話では無く、メールでやり取りをしたいところだが、かかってきた以上は出ないわけにはいかない。「はい、もしもし」『こんばんは、朱莉さん。今何をしていたのですか?』「え? い、今ですか? ネットの動画を観ていましたが?」朱莉が観ていた動画がは新生児のお世話の仕方について分かり易く説明している動画であった。『そうですか、ではさほど忙しくないってことですよね?』「え、ええ……まあそういうことになるかもしれませんが……?」一体何を言い出すのかと、ドキドキしながら返事をする。『朱莉さん。これから一緒にドライブにでも行きませんか?』「え? ド、ドライブですか?」京極の突然の申し出に朱莉はうろたえてしまった。今まで一度も夜のドライブの誘いを受けたことが無かったからだ。(京極さん……何故突然……?)しかし、他ならぬ京極の頼みだ。断るわけにはいかない。「わ、分かりました。ではどうすればよろしいですか?」『今から30分くらいでそちらに行けると思いますので、マンションのエントランスの前で待っていて頂けますか?』「はい。分かりました」『それではまた後程』用件だけ告げると京極は電話を切った。朱莉は溜息をつくと思った。(本当は何か大切な話が合って、私をドライブに誘ったのかな……?)****30分後――朱莉がエントランスの前に行くと、そこにはもう京極の姿があった。「すみません、お待たせしてしまって」「いえ、僕もつい先ほど着いたばかりなんです。だから気にしないで下さい。さ、では朱莉さん。乗って下さい」京極は助手席のドアを開けるた。「は、はい。失礼します」朱莉が乗り込むと京極はすぐにドアを閉め、自分も運転席に座る。「朱莉さん、夜に出かけたことはありますか?」「いいえ、滅多にありません」「では美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジに行きましょう。夜はそれはとても美しい景色に変わりますよ? 一緒に観覧車に乗りましょう」「観覧車……」その時、朱莉は航のことを思い出した。航は観覧車に乗
数か月の時が流れ、季節は10月になっていた。カレンダーの3週目には赤いラインが引かれている。そのカレンダーを見ながら朱莉は呟いた。「予定通りなら来週明日香さんの赤ちゃんが生まれてくるのね…」まだまだこの季節、沖縄の日中は暑さが残るが、夏の空とは比べ、少し空が高くなっていた。琢磨とも航とも音信不通状態が続いてはいたが、今は寂しさを感じる余裕が無くなってきていた。翔からは頻繁に連絡が届くようになり、出産後のスケジュールの取り決めが色々行われた。一応予定では出産後10日間はアメリカで過ごし、その後日本に戻って来る事になる。朱莉はその際、成田空港まで迎えに行き、六本木のマンションへと明日香の子供と一緒に戻る予定だ。「お母さん……」 朱莉は結局母には何も伝えられないまま、ズルズルここまできてしまったことに心を痛めていた。どうすれば良いのか分からず、誰にも相談せずにここまで来てしまったことを激しく後悔している。そして朱莉が出した結論は……『母に黙っていること』だった。あれから少し取り決めが変更になり、朱莉と翔の婚姻期間は子供が3歳になった月に離婚が決定している。(明日香さんの子供が3歳になったら今までお世話してきた子供とお別れ。そして翔先輩とも無関係に……)3年後を思うだけで、朱莉は切ない気持ちになってくるが、これは始めから決めらていたこと。今更覆す事は出来ないのだ。現在朱莉は通信教育の勉強と、新生児の育て方についてネットや本で勉強している真っ最中だった。生真面目な朱莉はネット通販で沐浴の練習もできる赤ちゃん人形を購入し、沐浴の練習や抱き方の練習をしていたのだ。(本当は助産師さん達にお世話の仕方を習いに行きたいところなんだけど……)だが、自分で産んだ子供ではないので、助産師さんに頼む事は不可能。(せめて私にもっと友人がいたらな……誰かしら結婚して赤ちゃんを産んでる人がいて、教えて貰う事ができたかもしれないのに……)しかし、そんなことを言っても始まらない。そして今日も朱莉は本やネット動画などを駆使し、申請時のお世話の仕方を勉強するのであった――**** 東京——六本木のオフィスにて「翔さん、病院から連絡が入っております。まだ出産の兆候は見られないとのことですので、予定通り来週アメリカに行けば恐らく大丈夫でしょう」姫宮が書類を翔に手
「ただいま……」玄関を開け、朱莉は誰もいないマンションに帰って来た。日は大分傾き、部屋の中が茜色に代わっている。朱莉はだれも使う人がいなくなった、航が使用していた部屋の扉を開けた。綺麗に片付けられた部屋は、恐らく航が帰り際に掃除をしていったのだろう。航がいなくなり、朱莉の胸の中にはポカリと大きな穴が空いてしまったように感じられた。しんと静まり返る部屋の中では時折、ネイビーがゲージの中で遊んでいる気配が聞こえてくる。目を閉じると「朱莉」と航の声が聞こえてくるような気がする。朱莉の側にいた琢磨は突然音信不通になってしまい、航も沖縄を去って行ってしまった。朱莉が好きな翔はあの冷たいメール以来、連絡が途絶えてしまっている。肝心の京極は……朱莉の側にいるけれども心が読めず、一番近くにいるはずなのに何故か一番遠くの存在に感じてしまう。「航君……。もう少し……側にいて欲しかったな……」朱莉はすすり泣きながら、いつまでも部屋に居続けた——**** 季節はいつの間にか7月へと変わっていた。夏休みに入る前でありながら、沖縄には多くの観光客が訪れ、人々でどこも溢れかえっていた。京極の方も沖縄のオフィスが開設されたので、今は日々忙しく飛び回っている様だった。定期的にメッセージは送られてきたりはするが、あの日以来朱莉は京極とは会ってはいなかった。航が去って行った当初の朱莉はまるで半分抜け殻のような状態になってはいたが、徐々に航のいない生活が慣れて、ようやく今迄通りの日常に戻りつつあった。 そして今、朱莉は国際通りの雑貨店へ買い物に来ていた。「どんな絵葉書がいいかな~」今日は母に手紙を書く為に、ポスカードを買いに来ていたのだ。「あ、これなんかいいかも」朱莉が手に取った絵葉書は沖縄の離島を写したポストカードだった。美しいエメラルドグリーンの海のポストカードはどれも素晴らしく、特に気に入った島は『久米島』にある無人島『はての浜』であった。白い砂浜が細長く続いている航空写真はまるでこの世の物とは思えないほど素晴らしく思えた。「素敵な場所……」朱莉はそこに行ってみたくなった。 その夜――朱莉はネイビーを膝に抱き、ネットで『久米島』について調べていた。「へえ~飛行機で沖縄本島から30分位で行けちゃうんだ……。意外と近い島だったんだ……。行ってみたいけど、でも
京極に連れられてやってきたのは国際通りにあるソーキそば屋だった。「一度朱莉さんとソーキそばをご一緒したかったんですよ」京極が運ばれて来たソーキそばを見て、嬉しそうに言った。このソーキそばにはソーキ肉が3枚も入っており、ボリュームも満点だ。「はい。とても美味しそうですね」朱莉もソーキそばを見ながら言った。そしてふと航の顔が思い出された。(きっと航君も大喜びで食べそうだな……。私にはちょっとお肉の量が多いけど、航君だったらお肉分けてあげられたのに)朱莉はチラリと目の前に座る京極を見た。とても京極には航の様にお肉を分ける等と言う真似は出来そうにない。すると、京極は朱莉の視線に気づいたのか声をかけて来た。「朱莉さん、どうしましたか?」「い、いえ。何でもありません」朱莉は慌てて、箸を付けようとした時に京極が言った。「朱莉さん、もしかするとお肉の量が多いですか……?」「え……? 何故そのことを?」朱莉は顔を上げた。「朱莉さんの様子を見て、何となくそう思ったんです。確かに女性には少し量が多いかも知れませんね。実は僕はお肉が大好きなんです。良ければ僕に分けて頂けますか?」そしてニッコリと微笑んだ。「は、はい。あ、お箸……まだ手をつけていないので、使わせて頂きますね」朱莉は肉を摘まんで京極の丼に入れた。その途端、何故か自分がかなり恥ずかしいことをしてしまったのではないかと思い、顔が真っ赤になってしまった。「朱莉さん? どうしましたか?」朱莉の顔が真っ赤になったのを見て、京極が声を掛けて来た。「い、いえ。何だか大の大人が子供の様な真似をしてしまったようで恥ずかしくなってしまったんです」すると京極が言った。「ハハハ…やっぱり朱莉さんは可愛らしい方ですね。僕は貴女のそう言う所が好きですよ」朱莉はその言葉を聞いて目を丸くした。(え…?い、今…私の事を好きって言ったの?で、でもきっと違う意味で言ってるのよね?)だから、朱莉は敢えてそれには何も触れず、黙ってソーキそばを口に運んだ。 肉のうまみがスープに馴染み、麺に味が絡んでとても美味しかった。「このソーキそばとても美味しいですね」「ええ、そうなんです。この店は国際通りでもかなり有名な店なんですよ。それで朱莉さん。この後どうしましょうか?もしよろしければ何処かへ行きませんか?」「え?」
「え……? プレゼントと急に言われても受け取る訳には……」しかし、京極は譲らない。「いいえ、朱莉さん。貴女の為に選んだんです。お願いです、どうか受け取って下さい」その目は真剣だった。朱莉もここまで強く言われれば、受け取らざるを得ない。(一体突然どうしたんだろう……?)「分かりました……プレゼント、どうもありがとうございます」朱莉は不思議に思いながらも帽子をかぶり、京極の方を向いた。すると京極は嬉しそうに言う。「ああ、思った通り良く似合っていますよ。さて、朱莉さん。それでは駐車場へ行きましょう」京極に促されて、朱莉は先に立って駐車場へと向かった。駐車場へ着き、朱莉の車に乗り込む時、京極が何故か辺りをキョロキョロと見渡している。「京極さん? どうしましたか?」すると京極は朱莉に笑いかけた。「いえ、何でもありません。それでは僕が運転しますから朱莉さんは助手席に乗って下さい」何故か急かすような言い方をする京極に朱莉は不思議に思いつつも車に乗り込むと、京極もすぐに運転席に座り、ベルトを締めた。「何処かで一緒にお昼でも食べましょう」そして京極は朱莉の返事も待たずにハンドルを握るとアクセルを踏んだ——「あの、京極さん」「はい。何ですか?」「空港で何かありましたか?」「何故そう思うのですか?」京極がたずねてきた。(まただ……京極さんはいつも質問しても、逆に質問で返してくる……)朱莉が黙ってしまったのを見て京極は謝った。「すみません。こういう話し方……僕の癖なんです。昔から僕の周囲は敵ばかりだったので、人をすぐに信用することが出来ず、こんな話し方ばかりするようになってしまいました。朱莉さんとは普通に会話がしたいと思っているのに。反省しています」「京極さん……」(周囲は敵ばかりだったなんて……今迄どういう生き方をして来た人なんだろう……)「朱莉さん。先程の話の続きですけど……。実は僕は今ある女性からストーカー行為を受けているんですよ」京極の突然の話に朱莉は驚いた。「え? ええ!? ストーカーですか!?」「そうなんです。それでほとぼりが冷めるまで東京から逃げて来たのに……」京極は溜息をついた。「ま……まさか京極さんがストーカー被害だなんて……驚きです」(ひょっとして……ストーカー女性って姫宮さん……?)思わず朱莉は一瞬翔の